FC2ブログ

宗教について

いくつかあるものの中から、比較的わかりやすいものをご紹介します。
- - - - - - - - -
宗教について論じるには難しいものがある。日本国は昔から、神代の昔から宗教的儀式が数多く残されている。神、仏敬う心、体系的儀式の中にもその名残りを今も残す。神が神であり、仏の教えが菩薩であろうと、その信仰が人々を安らぎの境地に導いたことに他ならぬ。
名残りを留めた宗教がいろいろな形に変化してその時々の指導者によって分散化されたのも致し方のないことやも知れぬ。しかし、宗教とは教え導かれた者達が、まこと心理の道歩めなければ如何ほどの道理があってもそれはただの縛宗である。縛られた教義の中では、どんな形でも仏の心にはほど遠い。神、仏敬う心あるならば、それはどんな形でも心が仏の道を呼び覚ます原動力にもなる。

神は総ての者達にその心があるかと問うておられる。人を縛ることが宗教の教えではない。姿の見えない神、仏に姿形をつけることで安心しているのではないか。偶像崇拝で心、ここに示しているのではないか。否や何人も本質的には真を求めているのではないだろうか。先祖より崇められた信仰を簡単には捨てられぬ。しかし、今の世は真実を求めている。まことの実在あることを求める。幽玄無大な光があろうと、そこに姿、形がなければ誰も信じようとしない。求めながらも信じることには否定的である。

雑多な宗教であらば信じないほうが幸福かも知れぬ。束縛と向背に動くならば、神そのものを否定したほうが人間らしく生きられる。

神は孤立した存在ではない。個々の生命体の中にもその光浴びるべくすべての意識が眠っている。心が神とつながる超意識であることに気付いて欲しい。

宗教者、神社、仏閣に札束が乱れ飛ぶご時世ならば、仏の教えも教義も意味のないこと。人救いにも金のかかるご時世、信じることが救われる世ではなくなった。あまたの宗教者の中には真の真実を求める者も少なからずおる。

「ボロまとい布教に歩いた昔が偲ばれる」

無明、向上。
煩悩の歪みに惑わされることなく真理の頂点極め、普遍なる星の下で三度生まれ変わっても、状態が保てるほどの自在、変化となられますよう。

我の中に神は存在し、我の中に生きるが生命体であることに気付かれますように。生命の秩序が保たれますれば何人も神の権現であることに気付き、宗派の乱れにも臆することなく、人知を越えた世界があることに気付きませう。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

core_dump

Author:core_dump

「AyajinSoft」の[Ayajin」ですが、今は昔、某所に派遣されていた時に、「怪しい人=怪人」と呼ばれたことがあり(オシロスコープなど、他の人が持っていないようなものを持っていただけなんですけどね)、なぜかこの音が気に入ってしまい、以来、この表記を使っています。

基本的に組み込み技術者です。一時期、iOSアプリの開発に従事していましたが、今後は制御系を中心にやっていこうと思っていますが、なにぶん相手のある話なので、組み込みや制御を中心に、アプリ寄りなところまで含めて幅広くやって行こうと思っています。

技術者なのですが、最近、いろいろなことに興味や面白さを感じるようになりました(ソフトウエア工学だけでなく、自然科学、人文科学、社会科学などなど)。それが高じて、現在、大学で哲学を中心に勉強しています。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンタ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR