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五行大義(199)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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呂律を論ず
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『漢書』律暦志には、「三元とは、天は施し、地は導き、人は仕えるという(三つの)道理である。

十一月(仲冬、冬至のある月)は乾の初九にあたり、陽気が地下に隠れていたのが、はじめて地上に姿を現して一(はじめ)となり、すべてのものが芽吹きはじめ、北方に集まる。だから、黄鐘は天元である。律の長さは九寸、九とは中和の気を極め尽くし、すべてのものの元となる数である。『易経』(説卦伝)に言う『天の道を立てて、陰と陽と言う』とはこのことである。

六月(季夏)は坤の一番下の初六であり、陰気は太陽に任務を与えられ、継ぎ養い化(めぐ)み柔らげ、すべてのものを生長させて、それを(十二支の)未に茂らせ、種を剛(つよ)く大きくさせる。dから、林鐘を地元とし、律の長さは六寸、六は陰が陽の施しを受けるという理由で、これを天地のうちに立て、陰陽の気によって物体を存在させる。(『易経』に言う)『地の道を立てて、柔と剛という』のは、このことである。乾は天地の偉大なる万物のはじめを知り、坤は万物を作成する。

正月(孟春)は乾の九三である。すべての物がなめらかに通り、寅に集り出て、人がこれを奉って、これを成り立たせ、仁によってこれを養い、義(道理)によって行い、物にそれぞれの理を持たせる。寅は木の性である。木は仁である。その声は商であり、(五常においては)義である。だから、大蔟は人の元となって、律の長さは八寸、八は八卦に基づいている。苞義氏が天地の道理に従い、神妙で明らかなことに通じ、万物の情態に似せたからである。(『易経』に言う)『人の道を立てて、仁と義という』のはこのことである。天では象となり、地では形となり、君はそれによって、天地人の三つの道をほどよくとりはからう」とある。これが三元であり、律の始まりである。
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Author:core_dump

「AyajinSoft」の[Ayajin」ですが、今は昔、某所に派遣されていた時に、「怪しい人=怪人」と呼ばれたことがあり(オシロスコープなど、他の人が持っていないようなものを持っていただけなんですけどね)、なぜかこの音が気に入ってしまい、以来、この表記を使っています。

基本的に組み込み技術者です。一時期、iOSアプリの開発に従事していましたが、今後は制御系を中心にやっていこうと思っていますが、なにぶん相手のある話なので、組み込みや制御を中心に、アプリ寄りなところまで含めて幅広くやって行こうと思っています。

技術者なのですが、最近、いろいろなことに興味や面白さを感じるようになりました(ソフトウエア工学だけでなく、自然科学、人文科学、社会科学などなど)。それが高じて、現在、大学で哲学を中心に勉強しています。

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