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五行大義(178)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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雑配を論ず
第六、五事に配するを論ず
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言は『易経』の道においては兌という。兌は、口に出してものを言う象である。君主が言葉を出し、法令は施行されれば、民はこれに従う。だから、『易経』では、「真に民心を悦ばせるような仕方で民を使役するならば、民はその労を忘れて従って来る。民を悦ばせて、危険な戦場に赴かせたならば、民はその死をも忘れて一生懸命に戦う」と説いている。

こうしたことから、賢明な君主は、賦役を少なくして俸禄を多くするのであり、また、賞を与えるのに、どのくらい与えるべきかが疑わしい時には重く与え、罰を与えるのに、その罪状が疑わしい時には軽く罰する。こうすれば、民の心を順わせることができる。

だから、(『孝経』にあるように)「(聖人の)教えは粛(つつ)しまなくとも成り、その政治は厳しくなくともよく治る」のである。これは、民の心(信望)を得ているからである。民の心を得れば、民は君主に帰服する。そうなれば、民は死んでもなお君主のことを忘れない。まして、(生きている間は)君主の政令に従うことは言うまでもないことである。

だが、君主が民の心を失い、政令が従われなくなれば、君主の徳は自ら消え去り、それに従っていた多くの人々(臣下)も離れてしまう。しかしながら、下の者は君主の与える重刑を恐れるので、陽気が勝つ。そうなれば日照りとなる。だから、「その罰は、常に日照りが続くことである」と言われている。常に日照りが続けば、飢え貧しく成り、食料が不足する。そうなれば、敢えて正しいことを言って君主を諌めようとする人物はいなくなり、まず、世の中の荒廃を風刺した歌謡が人々の口から出て来るのである。(五事の中の)言の働きが逆らうと、悪言が起こり、イナゴなどの害虫が発生する。これは、すべて口に関係する事である。
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Author:core_dump

「AyajinSoft」の[Ayajin」ですが、今は昔、某所に派遣されていた時に、「怪しい人=怪人」と呼ばれたことがあり(オシロスコープなど、他の人が持っていないようなものを持っていただけなんですけどね)、なぜかこの音が気に入ってしまい、以来、この表記を使っています。

基本的に組み込み技術者です。一時期、iOSアプリの開発に従事していましたが、今後は制御系を中心にやっていこうと思っていますが、なにぶん相手のある話なので、組み込みや制御を中心に、アプリ寄りなところまで含めて幅広くやって行こうと思っています。

技術者なのですが、最近、いろいろなことに興味や面白さを感じるようになりました(ソフトウエア工学だけでなく、自然科学、人文科学、社会科学などなど)。それが高じて、現在、大学で哲学を中心に勉強しています。

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