花窟神社
※しばらくは、以前参拝した神社の記事を公開したいと思います。
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「はなのいわやじんじゃ」と読みます。三重県熊野市有馬町に鎮座しています。熊野那智大社から向かったのですが、車で1時間くらいでした。海沿いを通るため、熊野灘を見ることができました。不思議な迫力を感じたのを覚えています。
さて、この神社ですが、実は神話に関係しています。日本書紀』(神代巻上)の一書によると、伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に焼かれて死んだため、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以後、近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祀った、とあります。つまり、御陵(墓所)ということです。古事記や延喜式神名帳にも「花窟神社」の名はないことからも、そのように考えられます。
写真では撮り損ねたこと(大き過ぎてうまく写真に収めることができませんでした)もあり、そのスケールをお伝えすることができませんが、高さ45mほどの巨岩である磐座が御神体です。こちらが「陰石」、先にご紹介した神倉神社の御神体(コトビキ岩)が「陽石」として、一対をなすとも言われています。
縁起ですが、創建は不詳です。
御祭神は、伊弉冉尊と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)です。
神話ファンでなくとも、参拝の価値はあると思います。
参拝してご縁を結ばせていただいたのち、御朱印をいただきました。
参拝日:2014/11/6
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「はなのいわやじんじゃ」と読みます。三重県熊野市有馬町に鎮座しています。熊野那智大社から向かったのですが、車で1時間くらいでした。海沿いを通るため、熊野灘を見ることができました。不思議な迫力を感じたのを覚えています。
さて、この神社ですが、実は神話に関係しています。日本書紀』(神代巻上)の一書によると、伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に焼かれて死んだため、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以後、近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祀った、とあります。つまり、御陵(墓所)ということです。古事記や延喜式神名帳にも「花窟神社」の名はないことからも、そのように考えられます。
写真では撮り損ねたこと(大き過ぎてうまく写真に収めることができませんでした)もあり、そのスケールをお伝えすることができませんが、高さ45mほどの巨岩である磐座が御神体です。こちらが「陰石」、先にご紹介した神倉神社の御神体(コトビキ岩)が「陽石」として、一対をなすとも言われています。
縁起ですが、創建は不詳です。
御祭神は、伊弉冉尊と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)です。
神話ファンでなくとも、参拝の価値はあると思います。
参拝してご縁を結ばせていただいたのち、御朱印をいただきました。
参拝日:2014/11/6
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