五行大義(168)
私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
-----
雑配を論ず
第四、蔵府に配するを論ず
-----
陰の数は二であり、二もまた陰の始めである。魄は員であるとはいえ、これも元始というわけではない。二の次は四であるが、陰は孤立せず、必ず陽に寄りかかる。だから、魄は、魂の三につき、(四と)合して七となるのである。また、一説では、魂は東方にあり、震の卦の数である。三をとる。魄は、西方におり、兌の卦の数である七をとる、という。三魂・七魄、これを合わせると十になり、これは、天の五行、地の五行に対応している。天と地の五行が合して十となり、共に人を成しているのである。五とは、天の五気、地の五味である。
『春秋緯』には、「人は十に感じて生まれる。だから、十ヶ月経つと生まれるのである」とある。また、六魄あると言うのは、道家の『三皇経』の説であり、五蔵の神を五魂とし、六府の神を六魄とするもので、これもまた、五行・六気の意味である。魂魄は、人の本であり、臓腑に配当されているので、ここに解釈したのである。
『黄帝甲乙経』には、「魂は精に属し、魄は神に属す」とある。
-----
雑配を論ず
第四、蔵府に配するを論ず
-----
陰の数は二であり、二もまた陰の始めである。魄は員であるとはいえ、これも元始というわけではない。二の次は四であるが、陰は孤立せず、必ず陽に寄りかかる。だから、魄は、魂の三につき、(四と)合して七となるのである。また、一説では、魂は東方にあり、震の卦の数である。三をとる。魄は、西方におり、兌の卦の数である七をとる、という。三魂・七魄、これを合わせると十になり、これは、天の五行、地の五行に対応している。天と地の五行が合して十となり、共に人を成しているのである。五とは、天の五気、地の五味である。
『春秋緯』には、「人は十に感じて生まれる。だから、十ヶ月経つと生まれるのである」とある。また、六魄あると言うのは、道家の『三皇経』の説であり、五蔵の神を五魂とし、六府の神を六魄とするもので、これもまた、五行・六気の意味である。魂魄は、人の本であり、臓腑に配当されているので、ここに解釈したのである。
『黄帝甲乙経』には、「魂は精に属し、魄は神に属す」とある。