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五行大義(167)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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雑配を論ず
第四、蔵府に配するを論ず
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『韓詩』には、「湊水、洧水の二つの川がある。三月の上旬の巳の日、すなわち、上巳の節句(今日の三月三日の節句)鄭の国では、常にこの川の辺りに置いて、魂を招き、魄も続いて招いた」とある。

『春秋左氏伝』昭公二十五年には、「宋公(元公)は宴を開いて、昭子(叔孫婼)を右に座らせて接近させ、語り合っているうちに互いに楽しむべき席で泣いてしまった。孔子は、今年、昭子とは、共に亡くなるであろう。心の精明を魂魄というが、この魂魄を去ってしまったら、どうして長らえることができよう、と言った」とある。こうした記述はすべて、人の身に魂魄の別があることを明らかにしたものである。

『老子道徳経』(河下公注)には、「魂は肝に蔵され、魄は肺に蔵される」とあるが、魂は天に属するものであり、天の気は陽、陽は善を主どり、左を尊ぶので、(魂は)肝にあって東方の木の位にいるのである。また、魄は地に属するものであり、地気は陰、陰は悪を主どり、右を尊ぶので、(魄は)肺にあって西方の金の位にいるのである。

『老子道徳経』には、「吉事には左を尊び、凶事には右を尊ぶ」とある。また、五気は心に蔵され、五味は胃に蔵されているという言葉もあるが、これは、気は陽であり、臓がこれを受ける。心は火臓であり、陽気がおる所であるかである。味は陰であり、府がこれを受ける。胃は五穀の府であり、味がおる所であるからである。心は精神をつかさどり、胃は食物の受納をつかさどる。これは、魂魄・陰陽の理にかなっている。また、魂は三つあり、魄は七つあると言うが、これについて説明すれば、陽の数は基数であり、陰の数は偶数である。奇数は一から始まり、一は元気である。魂は陽であるとはいえ、元始というわけではない。だから、一の次は三であり、魂の数は三となるのである。また、天地の二気が合して人が生ずるが、人もまた一気であり、天地人の三材は各々一気である。だから、魂は三つあると言うのである。
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Author:core_dump

「AyajinSoft」の[Ayajin」ですが、今は昔、某所に派遣されていた時に、「怪しい人=怪人」と呼ばれたことがあり(オシロスコープなど、他の人が持っていないようなものを持っていただけなんですけどね)、なぜかこの音が気に入ってしまい、以来、この表記を使っています。

基本的に組み込み技術者です。一時期、iOSアプリの開発に従事していましたが、今後は制御系を中心にやっていこうと思っていますが、なにぶん相手のある話なので、組み込みや制御を中心に、アプリ寄りなところまで含めて幅広くやって行こうと思っています。

技術者なのですが、最近、いろいろなことに興味や面白さを感じるようになりました(ソフトウエア工学だけでなく、自然科学、人文科学、社会科学などなど)。それが高じて、現在、大学で哲学を中心に勉強しています。

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