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五行大義(166)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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雑配を論ず
第四、蔵府に配するを論ず
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『漢書』五行志、上には、「人は生命が尽きると、体は埋蔵されるが、精神は散ずる。だから、聖人は死んだ人のために宗廟を作り、その散じた魂気をおさめたのである。そして、春と秋にこれを祭り、孝の道を修めたのである」とある。

『尸子』には、「鬼とは帰(かえる)である。古は、死人を帰人と言っていた」とある。

『淮南子』精神訓には、「人の精神は、天のものである。そして骸骨(肉体)は、地のものである。人が死ぬと、精気は天の門に入り、骸骨(肉体)は地の本へ帰る」とある。また、主術訓には、「天の気を魂とし、地の気を魄とする」とある。

『礼記』郊特牲篇には、「凡そ祭りを行うには、慎重にこのようにするのである。(人が死ぬと)魂気は天に帰り、形魄は地に帰る。だから、祭はこれを陰陽に求めて(魂魄を)呼び招くという意味なのである。つまり、気の清らかなものを神と言い、これが陽魂である。気の濁っているものを鬼と言、これが陰魄である」とある。また、檀弓、下篇には、「延陵の季子は、自分の子を(斉の)嬴(えい)と博との間の地に葬った時に、骨肉が土に帰るのは、天命である。しかし、魂気はどこにでもゆく、と言った」とある。

『越絶書』には、「越王が范子(范蠡=はんれい)に問うて、お前に聞くが、魂魄を失ったものは死に、これを持っているものは生きる。物は皆魂魄を所有しているのか、あるいは人だけであるのか、と言った。范蠡は答えて、魄は入れ物であり、魂は正気の源である、と言った」とある。また、「魂は生気の精、魄は死気の舎(やどり)である」とある。
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Author:core_dump

「AyajinSoft」の[Ayajin」ですが、今は昔、某所に派遣されていた時に、「怪しい人=怪人」と呼ばれたことがあり(オシロスコープなど、他の人が持っていないようなものを持っていただけなんですけどね)、なぜかこの音が気に入ってしまい、以来、この表記を使っています。

基本的に組み込み技術者です。一時期、iOSアプリの開発に従事していましたが、今後は制御系を中心にやっていこうと思っていますが、なにぶん相手のある話なので、組み込みや制御を中心に、アプリ寄りなところまで含めて幅広くやって行こうと思っています。

技術者なのですが、最近、いろいろなことに興味や面白さを感じるようになりました(ソフトウエア工学だけでなく、自然科学、人文科学、社会科学などなど)。それが高じて、現在、大学で哲学を中心に勉強しています。

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