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五行大義(165)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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雑配を論ず
第四、蔵府に配するを論ず
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五臓がつかさどるのは、神・精・志・魂・魄の五種であるが、これを陰陽をもって論ずるならば、ただ二つの区別があるのみである。すなわち、陽を魂といい、陰は魄というのである。『老子道徳経』の河上公章句には、「五気が清らかで微細であれば、聞いたり見たりする精神の働きをなし、それは、音声の五性(宮・商・角・徴・羽)である。その鬼を魂といい、魂は雄である。そして、鼻に出入りすることを司り、天と通じている。五味が潤って濃ければ、身体、骨肉となり、それは、血脈の六情(喜・怒・哀・楽・好・悪)である。その鬼を魄といい、魄は雌である。そして、口に出入るすることを司り、地と通じている」とある。

『孔子家語』哀公問政篇には、「(孔子の弟子の)宰我は、孔子に、鬼神の名を聞いたことはありますが、それが何を指すかを知りません、と言った。孔子は答えて、人は生まれると気を持ち、そのうち、魂気は神の盛んな者であり、魄気は鬼の盛んなものである。人に生があれば死があり、死ねば必ず土に帰る。これを鬼という。魂気は天に帰る。これを神という。だから、鬼と神を並べて説いてこそ、人に対する教えが完全になるのである。(人が死ねば)人の骨肉は地の下に朽ち、変化して土になる。その気が天に上ると、これは神が現れるということである。聖人は、人や物の情によって、鬼神の名の用い方を明らかにし、民の法るべき則としたのである。牲(いけにえ)の脂を燔(た)くのは、気に報いる礼儀である。また、黍(きび)や稷を勧め、牲の肝・肺を煮て供え、加えて鬱鬯(うつちょう)の酒を献げるのは、魄に報いる儀礼である、と言った」とある。
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Author:core_dump

「AyajinSoft」の[Ayajin」ですが、今は昔、某所に派遣されていた時に、「怪しい人=怪人」と呼ばれたことがあり(オシロスコープなど、他の人が持っていないようなものを持っていただけなんですけどね)、なぜかこの音が気に入ってしまい、以来、この表記を使っています。

基本的に組み込み技術者です。一時期、iOSアプリの開発に従事していましたが、今後は制御系を中心にやっていこうと思っていますが、なにぶん相手のある話なので、組み込みや制御を中心に、アプリ寄りなところまで含めて幅広くやって行こうと思っています。

技術者なのですが、最近、いろいろなことに興味や面白さを感じるようになりました(ソフトウエア工学だけでなく、自然科学、人文科学、社会科学などなど)。それが高じて、現在、大学で哲学を中心に勉強しています。

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