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五行大義(123)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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雑配を論ず
第二、声音に配するを論ず
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『礼記』楽記篇には、「楽とは、音がそこから生じる者である。その本質は、人の心が物に感ずることにある。だから、哀しみを感じる人の声は、低くて調子が早く、楽しみを感じる人の声は、ゆったりとして緩やかであり、喜びを感じる人の声は、高くて踊るようであり、怒りを感じる人の声は、荒く激しく、真心(貞)を感じる人の声は、正しく潔く、愛を感じる人の声は、和やかで素直である。しかし、この六つは(声の)本来の性質を表しているのではなく、物に感じ、初めて発せられる。(だから、)声を声を詳らかにしたならば、音を知ることができ、音を詳らかにしたなば、楽を知ることができ、楽を詳らかにしたならば、政治の本質を知ることができ、こうして、政治を正しく行う道が備わるのである。」とある。

だから、『毛詩』の序に、「声は文(まとまった意味を表すもの)をなす。これを音という。よく治っている時代の音は、その政治が(民と一致して)和らいでいるから、安らかで楽しい。乱れた時代の音は、その政治が(民の気持ちに)そむいているから、恨みや怒りを含んでいる。亡んだ国の音は、その民が困(くるし)んでいるので、哀れに思いに沈んでいる。」とある。

『大戴礼記』の観人篇には、「誠がその中にあれば、必ずそれが外に見(あらわ)れる。その見れたものによって隠れているものを占い、(見れた)その細かいものによって(隠れている)大いなることを占うのである。声は、その内実を象り、気が最初にものを生じ、者が生じて声が出てくる。この声には、剛柔、清濁、好悪があって、すべてが声となって発せされる。だから、心が虚栄を張り、内実のない人の声は、傲慢であり、心が素直でまことな人の声は、素直でけじめがあり、心が卑しく道理に背いている人の声は、生臭く醜く、心が寛く柔和な人の声は、暖かく穏やかである。」とある。だから、成人は、その人の声を聴き、その人の容貌を観ることによって、その人の善悪を知ることができるのである。
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Author:core_dump

「AyajinSoft」の[Ayajin」ですが、今は昔、某所に派遣されていた時に、「怪しい人=怪人」と呼ばれたことがあり(オシロスコープなど、他の人が持っていないようなものを持っていただけなんですけどね)、なぜかこの音が気に入ってしまい、以来、この表記を使っています。

基本的に組み込み技術者です。一時期、iOSアプリの開発に従事していましたが、今後は制御系を中心にやっていこうと思っていますが、なにぶん相手のある話なので、組み込みや制御を中心に、アプリ寄りなところまで含めて幅広くやって行こうと思っています。

技術者なのですが、最近、いろいろなことに興味や面白さを感じるようになりました(ソフトウエア工学だけでなく、自然科学、人文科学、社会科学などなど)。それが高じて、現在、大学で哲学を中心に勉強しています。

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