五行大義(118)
私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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雑配を論ず
第一、五色に配するを論ず
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『春秋左氏伝』には「(五行)は色にあらわれて五色となる、と子産が述べた」とある。蔡伯かい(人名:さいはくかい)は「(『月令章句』において)眼に映る色は五色である」と述べた。『黄帝素問』には「草の性質は五度変化する。」とある。
あらわれて五色になるとは次に示す通りである。まず、東に配当された木は蒼い色であり、すべての物がここから生まれ、これは、柔らかい若芽の色である。次に、南に配当された火は赤い色であり、太陽が輝いて炎が燃え上がる様子を象っている。次に、中央の土は黄色であり、その黄色は地面の色である。だから、『周易』にあるように、「天は玄く、地は黄色である。」と言うのである。次に、西に配当される金は白い色であり、秋の殺気が起こって白露は霜となる。この白い色は衰滅を象っている。最後に、北に配当される水は黒い色であり、遠くを眺めると果てしなく暗く、暗い闇が続くようである。それは、大海原が限りなく広く、暗闇が窮まりないようなものである。水は太陰の性質を持つものであり、だから、暗い闇なのである。
『孝経援神契』には「土の精は黄、木の精は青、火の精は赤、金の精は白、水の精は黒である。」とある。『春秋考異郵』には「北方の夷狄の気は幽都(現在の北京)に生じる。色は黒く、家畜を連れた遊牧民のテントの色のようである。南方の夷狄の気は交趾(現在のハノイ付近)に生じる。色は赤く、赤い旗や鶏のとさかが集まったような色である。東方の夷狄の気は菜柱(現在の蓬 )に生じる。色は蒼く、地面に蒔いた種が生長し、林のような色である。西方の夷狄の気は沙丘(西域の砂漠地帯)に生じる。色は白く、砂漠の風紋が刀の刃が光り輝いているようである。中央には四方から土が集まり、色は黄色で、城郭の形のようである。黄色の気が四方に塞がって、土の精が生長するのである。」とある。この五つは正色である。そしてその変化した色もまた五つある。
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雑配を論ず
第一、五色に配するを論ず
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『春秋左氏伝』には「(五行)は色にあらわれて五色となる、と子産が述べた」とある。蔡伯かい(人名:さいはくかい)は「(『月令章句』において)眼に映る色は五色である」と述べた。『黄帝素問』には「草の性質は五度変化する。」とある。
あらわれて五色になるとは次に示す通りである。まず、東に配当された木は蒼い色であり、すべての物がここから生まれ、これは、柔らかい若芽の色である。次に、南に配当された火は赤い色であり、太陽が輝いて炎が燃え上がる様子を象っている。次に、中央の土は黄色であり、その黄色は地面の色である。だから、『周易』にあるように、「天は玄く、地は黄色である。」と言うのである。次に、西に配当される金は白い色であり、秋の殺気が起こって白露は霜となる。この白い色は衰滅を象っている。最後に、北に配当される水は黒い色であり、遠くを眺めると果てしなく暗く、暗い闇が続くようである。それは、大海原が限りなく広く、暗闇が窮まりないようなものである。水は太陰の性質を持つものであり、だから、暗い闇なのである。
『孝経援神契』には「土の精は黄、木の精は青、火の精は赤、金の精は白、水の精は黒である。」とある。『春秋考異郵』には「北方の夷狄の気は幽都(現在の北京)に生じる。色は黒く、家畜を連れた遊牧民のテントの色のようである。南方の夷狄の気は交趾(現在のハノイ付近)に生じる。色は赤く、赤い旗や鶏のとさかが集まったような色である。東方の夷狄の気は菜柱(現在の蓬 )に生じる。色は蒼く、地面に蒔いた種が生長し、林のような色である。西方の夷狄の気は沙丘(西域の砂漠地帯)に生じる。色は白く、砂漠の風紋が刀の刃が光り輝いているようである。中央には四方から土が集まり、色は黄色で、城郭の形のようである。黄色の気が四方に塞がって、土の精が生長するのである。」とある。この五つは正色である。そしてその変化した色もまた五つある。