五行大義(117)
私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
-----
衝破を論ず
-----
「れい気(悪気)は互いに衝し合う。しかし、ここで衝破を説いてれいと言わないのはなぜかわからない。」、と問う。これに対して「五行は互いにれいし合うが、これは、場合によってさまざまに変化し、常に一定ではない。攻める時はれいが表れるが、災いがなければ表れない。この解釈は、ただ(衝破の)支干の位置についてであり、これは、常に自ら互いに向かい合って、強いものと弱いものが衝し合うということである。ここでは、特異な変化を問うていないので、むしろこれをれいと称することはできないのである。」と答える。
追記
今日、9/9は、五節句の1つで「重陽の日」です。陰陽思想では、奇数は陽の数であり、また、陽の極である9が重なることからそう呼ばれています。
何でもそうですが、行き過ぎたものはいけないので、当初は不吉とされていたようですが、のちに吉祥に転じたようです。ですが、個人的には、「昇りつめればあとは降るしかない」と考え、あまりよろしくないと判断しています。
-----
衝破を論ず
-----
「れい気(悪気)は互いに衝し合う。しかし、ここで衝破を説いてれいと言わないのはなぜかわからない。」、と問う。これに対して「五行は互いにれいし合うが、これは、場合によってさまざまに変化し、常に一定ではない。攻める時はれいが表れるが、災いがなければ表れない。この解釈は、ただ(衝破の)支干の位置についてであり、これは、常に自ら互いに向かい合って、強いものと弱いものが衝し合うということである。ここでは、特異な変化を問うていないので、むしろこれをれいと称することはできないのである。」と答える。
追記
今日、9/9は、五節句の1つで「重陽の日」です。陰陽思想では、奇数は陽の数であり、また、陽の極である9が重なることからそう呼ばれています。
何でもそうですが、行き過ぎたものはいけないので、当初は不吉とされていたようですが、のちに吉祥に転じたようです。ですが、個人的には、「昇りつめればあとは降るしかない」と考え、あまりよろしくないと判断しています。