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五行大義(243)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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情性を論ず
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『春秋左氏伝』(昭公二十五年)に子産が次のように述べている。「天の明(日・月・星辰)に民は則り、(天には日・月・星辰の三光があるので、それらを明と言っている)地の性に因うと、(性は生であり、万物を生じさせ、生じたら使用するのである)天地は六気を生じ、五行を作用させている」と。五行は五性になる。六気とは六情に通じる。翼奉は次のように述べている。「五行は人においては性となり、六律は人において情となる。(五)性とは、仁・義・礼・智・信であり、(六)情とは、喜・怒・哀・楽・好・悪である。五性とは目に見えないところに存在して、外にあらわれる行為を制御し、五蔵を管理する。六情とは表情にあらわれて、感情をしずめ、六体を管理する。だから、情が性に勝ると均衡が取れないで乱れ、性が情に勝ると均衡がとれてよく治る。性は内面から表出し、情は外側からの刺激で起こる。しかし、情性が交錯する時には、二者の間に関連はない」と。

五行大義(242)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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八卦八風を論ず
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大剛・小剛は外からの力が勝り、大弱・小弱は内からの力が勝るのである。凶というのは害悪があることであり、諜というのは、叛逆する人がいるということである。折とはまさに死にそうであり、嬰児風といは内からの力が強いのである。これらはみな兵法家が内外の盛衰を判断するのに、風の吹いてくる方向を観察するということである。

陽(楊)泉が(『物理論』に)次のようにある。「春気はやわらかで、その風は暖かく、ほどよく、喜ばしい風である。夏気は盛んで、その風は暑くてとどまり、楽しい風である。秋気は強く、その風ははげしく吹いて、涼しく怒ったような風である。冬気は冷たく、その風は凍りつくように激しく吹き、哀しい風である」と。

そして、四方のすみ(東北・東南・西南・西北)の風は、生成の気に従い、四方(東・南・西・北)とは宜(道理)を異として、それぞれが感応する気に応じている。しかも風は自然の名称であり、政治の象徴である。もし君主が徳のある政治を行えば、風は枝をゆるがすようなこともなく、清和調暢である。もし政治の秩序が失われれば、それぞれの気が怒り、凶暴となって、砂を飛ばしたり木を折ったりする。これは天地自然の節理である。これはみな、五行の気と関係があるので、みな解釈したのである。

五行大義(241)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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八卦八風を論ず
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『太公兵書』には、「坎を大剛風と名付け、乾を折風と名付け、兌を小剛風と名付け、艮を凶風と名付け、坤を謀風と名付け、巽を小弱風と名付け、震を嬰児風と名付け、離を大弱風と名付く」とある。

大剛風とは、大陰(五行に配当すると水)の気は殺を好む。それで剛毅である。折風とは、金の気が強く、よく物を壊す。小剛風はまた金気(殺風とも言う)であり、殺気の始であるからである。凶風とは、艮が鬼門(東北にあり、鬼の出入りする門)にあって、害悪の存在するところである。謀風とは坤(母)を地として、大陰の根元であって、そこには多くの陰謀がある。小弱風とは、巽(陰爻が一番下にある)を長女とする。だから弱いというのである。嬰児風とは、震(陽爻が一番下にある)を長男として、これを愛する。だから児というのである。大弱風とは、離(陰爻が二番目にある)を中女として、長女よりさらに弱いのである。

五行大義(240)

私も「学びの途中」であることをご理解いただければと思います。したがって誤った理解もあるかもしれません。その際にはご指摘いただければと思います。また、内容については適宜集成・追加させていただきます。
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八卦八風を論ず
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『淮南子』には、「東北方を蒼門といい、条風を生じる。東方を開明門といい、明庶風を生じる。東南方を陽門といい、清明風を生じる。南方を暑門といい、景風を生じる。西南方を白門といい、涼風を生じる。西方を閶闔門といい、閶闔風を生じる。西北方を幽都門といい、不周風を生じる。北方を寒門といい、広莫風を生じる」とある。

蒼門とは、方位は東北であり、木(青・蒼)の気がちょうど事をはじめようとして、春の始めとなる。だから、蒼門という。

開明門とは、明は陽である。太陽が出るところである。だから、開明門という。

陽門とは、斗柄の位置が巳の方角にあって、陽気だけで事を行う。だから、陽門という。

暑門とは、大変暑い時期である。だから、暑門というのである。

白門とは、斗柄の位置が申の方角にあって、金(白)の気の始めである。だから、白門という。

閶闔門とは、八月(仲秋)の(斗柄の)位置は西の方角にあって、万物がちょうど実る頃である。閶は大という意味であり、闔は閉という意味であり、収束の時期である。だから、閶闔門という。

幽都門とは、幽は暗という意味であり、玄冥がちょうど事を行おうとして、陰気が集まるので、暗いのである。だから、幽都門という。

寒門とは、寒さを集積するところである。だから、寒門という。

この八つの方角は、八風の起こるところである。『呂氏春秋』には、「東方は滔風であり、東南は動風であり、南方は巨風であり、西南は凄風であり、西方は飄風であり、北西は厲風であり、北方は寒風であり、東北は炎風である」とある。この意味は、『淮南子』と同じである。


五行大義(239)

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八卦八風を論ず
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広莫風は、広は大であり、莫は沙漠という意味である。寒気が広遠に広がり、沙漠からやってくるのである。また、「この時は陽
気は下にあって、陰気は沙漠のように広大である。」と言われる。

条風とは、条は達(ゆきわたる)である。この時、万物は遍く生じる。

明庶風とは、庶は衆(多くのもの)である。この時、陽気は施し恵むという徳によって、あらゆるものが、みな、はっきりと姿をあらわすのである。

清明風とは、天気がよく晴れて、清々しいという意味である。この時、清風が万物に吹いて、(万物は)大いに成長し、はっきりと確認することができる。

景風とは、景とは高という意味である。万物は、この時期になると最高に成長するのである。また、「景を竟(おわり)とする。そして、陽気がこの時に終息する」という。

閶闔風とは、昌は盛んといういみである。この時、万物は実り多く、実ったものを収穫する。

不周風とは、周は遍しという意味である。万物は備蓄される。不周とは、閉じ塞がって通じない、ということである。その意味は、この時は、陰気だけで陽気がないので、閉じ塞がって通じない、ということである。
プロフィール

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Author:core_dump

「AyajinSoft」の[Ayajin」ですが、今は昔、某所に派遣されていた時に、「怪しい人=怪人」と呼ばれたことがあり(オシロスコープなど、他の人が持っていないようなものを持っていただけなんですけどね)、なぜかこの音が気に入ってしまい、以来、この表記を使っています。

基本的に組み込み技術者です。一時期、iOSアプリの開発に従事していましたが、今後は制御系を中心にやっていこうと思っていますが、なにぶん相手のある話なので、組み込みや制御を中心に、アプリ寄りなところまで含めて幅広くやって行こうと思っています。

技術者なのですが、最近、いろいろなことに興味や面白さを感じるようになりました(ソフトウエア工学だけでなく、自然科学、人文科学、社会科学などなど)。それが高じて、現在、大学で哲学を中心に勉強しています。

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